2015年10月28日

UTMB2015 

カテゴリー: ランニング大会, 未分類 — うなぎねこ @ 11:15 PM

8月24日、午後6時に仕事を終え帰宅。支度を整え、健康安全を祈っていつも大会前はウナギを食べる。

午後10時44分、大阪に向う夜行バスに乗る瞬間、今回同行してくれる「タモリ」が一言、

「携帯忘れてきました」

びっくり。一分話合った結果、いらないんじゃないかと決断。幸いPCを持ってきてるし。

25日

午前5時50分大阪到着。関西国際空港に向かい、両替・イモトのWi-fiをレンタル・海外保険に加入。

午前10時45分、ヘルシンキに向かって出発。初の海外、気分も高まりそんなに見たくもない映画

も見たり、すごい面白くないゲームもずーーっとやったりしてるうちに、

午後15時ヘルシンキ着。そこから乗り換えして、ジュネーブを目指す。

ヘルシンキで手荷物検査を受ける場所の係員が日本のかっちりした係員と違い、まるでライブハウスの

チケット受付のようだった。刺青やたらすごいし、ガム噛みながら仲間と雑談したりする姿をみて

文化の違い感じる。ほんまにここでムーミン生まれたのか?

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午後18時30分、ジュネーブ着。ここでもう一人の同行人の「チャン」と合流。彼は東京から来た。

飛行機の中で、UTMBに出場する選手の方と話たよう。「ホントに走れるの?」と私に対して不安がよぎったそうです。

この日はジューネブで一泊。予約したホテルでチェックインを済ませ、晩御飯を食べに外出。

デパートみたいなとこを見つけたので「ここで食べよう」と入ってみたら、映画館でした。

近くにハンバーガー屋があったので行ってみる。しかし入り口の横で、アメリカ映画のような感じで

見た目悪そうな若者達がタムロしていて、ビビりながら入店。難しいことは言えないので同じメニューを

3つ頼み、店内で食べていく、わりとウマい。しかし、高い。(一つ1300円くらい)

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26日

ジュネーブ空港で予約しているバスの待ち合わせ場所に行く。予定時間3分前にもなっても

現れないので、場所が違うことに気が付き、走って場所を探す。やっぱり出発していた。

しかし一時間後のバスに乗れると言われたので、この場所で待ってると一人のフランス人が近づいて来て

「君たちもこのバスに乗るの?もしかして大会出る?」多分こんな感じで話かけてきて、「YES」の

一言返し。彼は「デイビット」。CCCとカテゴリーの違うレースに出場する。

それから色々言葉を交わしているうちにバスに人が乗り込み出し、シャモニまで一緒の席で移動。

「あれをみてごらん、あれが○○という山さ、僕はあそこで練習してるよ」って、指した山、ほぼ崖。

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午後12時、一時間弱で、シャモニの街に到着。ここでデイビットと別れ、受付会場を目指す、

そして到着。しかし受付が夕方4時からと知り、観光しながら宿を目指す。今回は別荘みたいな家を5日間借りて、そこで生活をする。キッチン・シャワー・リビングに暖炉、テンション上がる内装。

午後6時、受付会場に並ぶ。すごい行列で建物に入るまで40分ぐらいかかった。

・受付内容(多分、こんな感じ)

1「パスポートとあなたのナンバー(ゼッケン)を教えてください」

2「このチックシートを持って、籠の中に、必要なものを入れてください」

私の場合、レインジャケット・携帯電話。

問題なかったら、ゼッケンが入った封筒を受け取り、参加賞が入った、デポ袋を受け取り終了。

計1時間20分ぐらい、それから同じ会場内でサポート用の連絡メールの手配をする。手続き完了。

午後8:30買い物したり、スーパーで食材を買い込んだりして電車に乗ろうと駅に行くが、電車が終了。

歩いて帰る。駅から3キロぐらい。9時前だが、まだぼんやり明るい。時間の感覚が狂うな・・・

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27日

この日は観光に全力。大会中は沢山の出店ブースがある。見たこともないメーカーや、主にヨーロッパで

行われているであろう大会の運営者達が、さまざまなアピールをしている。チーズ配ったり、ビデオ流し

て熱弁したり、その中で、ダーツをしてポイント超えたらTシャツプレゼントがあった。やってみると

以外にウマい私、Tシャツ貰えました。その後、靴を購入して嬉しくて「これ履いていくよ」と履いてる

うちに、サイズがでかいことに気付く。「交換できませんか」と尋ねるが「ソールが汚れてるから無理」

と断られる、当然ですね。浮かれたテンションが30%ぐらい落ちていたが、次はサングラスを購入し

ようと、店舗を回る。「これしかない」と思ったやつをレジに持って行ってお金を出して青ざめる、

「10ユーロたりない」・・・・定員さんに事情を説明して、友達からお金借りてくると、伝えようと

するが、あれこれ言われる、困ったな。店の外に、友達を見つけ声を出さずにこっちに来てくれと呼び続けるが伝わらず写真を撮ってる。歯がゆい。しかし、店員さんが言いたかったことは、多分こうでした。

「君はお金はもってないけど、すごいレースに出るからまけてあげるよ」といって、足りてないのに、

2ユーロのおつりをくれた。神降臨!!!

情けない私、メルシーを言い続け店を出る。

この日、大会の準備を全くしないまま就寝してしまった。

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28日

朝一で準備を始め、地図を作り、サポートの打ち合わせをして、お昼を食べてもう一度寝る。そして

夕方4:30スタート地点に向かい、家を出る。5時過ぎに到着した時は街中が人混みで動き辛くなっていた。スタート地点最後尾に並び、みんなと写真を撮ってると、スタートの合図がした。不意うち!

28日・18:00 UTMBスタート 170Km   制限時間46時間

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始まっても5分ぐらいはゲートをくぐれず、でっかいコンサートの受付並にゆっくり歩く。そのうちゲートを超え、観客にハイタッチをしたり、いってきますと言ったり、それでも1キロ近くはそんな事を繰り返しながら歩いた。そしてようやくゆっくり走り出した。こんな熱狂的な歓迎は初めてだ。いやでも気持ちが高ぶる。高ぶり過ぎて、第一エイド(給水所)までのことは覚えてない。

最初のサポートエイドにつくとサポーター(友達)がついていたが、エイドの食事を一通り食べ補充し、そのまま出発。次のエイドで会おうと思っていたが、次は79Km地点だということ忘れていた。

やがて夜になり、標高の高い場所は寒さもキツイ、しかし止まらず動こうと半袖のままで行動。登りでどうしても離される。足の長さが違いすぎる。歩き方と、ポールで対応。中々テンポがつかめないまま行動する、少し立ち止まると数十人に抜かれる。いやでも焦る。とある登りで後ろを振り返ると、人の列がライト(ヘッドライト)の明かりできれいに連なっていた。「これを登ってきたんだな」と嬉しく思ったが、上を見上げるとこれから登る道が先を進んでる人のライトで照らされていて、その長さに落胆。

眠気もあったがまだ初日の夜、とにかく朝が来るのを待った。長いガレ場の下りを抜け、平地の湿地帯に差し掛かった時、最初の朝が来た。

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29日 朝 6:00〜 50Km

やはり朝になると、そこそこ元気がもどるが、そこそこはそこそこ。なんとか昼前までにはクールマイヨのほぼ折り返しのエイドには着きたい。

ダラダラ登って降りてを繰り返すと、とあるピークで、「写真とりませんか」と日本語で話かけられる。前日にも受付にいた女性、フランス在住の日本の方、

彼女はボランティアでずーっと大会に参加してるとの事。すごいわ、おそらく沢山の日本人の支えになってる彼女。会えてうれしかった。

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午前10:00ごろ、79Kmクールマイヨに到着。

ここではサポートが受けれるので、チャンから、食料、水、着替えを受け取り、あまり長居をしないようにして、

パスタを食べたら出発しようと思ってたら、パスタ大渋滞が起きる。しかたがないので、そのまま出発。出てすぐ、タモリに会ったので「食べもんねーか」

と訪ねると、中がぎっしりつまったフランスパンが出て来た。水もなく、ひとかじりでやめる。そこにたまたま日本人が通り、「ようかんならありますよ」

と、黒アメとようかんを頂いた。神降臨!!!

この日は暑かった。熱中症で、リタイヤが続出したらしい。帽子を被り、日焼け止めを2時間おきに塗って、どこでも水をみつければ飲んだ。

のちに知ったが、お腹こわすから、飲まない方がいい場所があったらしい。

暑さも日本の地元の方が暑いし、真夏に蒲焼き6時間焼いてる体感を超えることは、早々なかったりするので、暑さも大丈夫。でも足が痛くなったのは、心に響いた。

平坦な道を、ひたすら歩いていると多くの人が抜いて行った。参ったな・・・

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18:00 100Km〜

俄然登りの方が楽になる。昇りで追いつき、下りで離されることを繰り返してる時、また眠たくなった。

「思い切って寝てみよう」そう思い、コース上にベンチがあったので、寝てみる。横になって数分後、「Are you ok?」と他のランナーさんに心配される。

大丈夫と、伝えまた横になると、「Are you okay?」と、別のランナーさんに心配される。ありがたい、親切が身にしみ、寝るのをやめて動き出す。

歩くのもしんどいので、走ってみる。前にいた選手も走り出す、後ろに着いてた3人も走り出し、集団になる。こうなると我慢比べが始まる。

ゆるい下りがハマって走り続けることができた。一人だけ後ろに着かれたが、下りで少し引き離した。平地に出て、私設エイドで水を飲んでると、後ろの

人に追いつかれた。姿をみてびっくり、どうみても60歳は超えてそうな人だった。その人はそのまま、姿が見えなくなった。かっこいいなー、憧れる。

小さい村の中を通るコースの景色はとてもきれいで、どこか故郷の景色に似ていた。そんな干渉に浸りながら走ってると突然、「プーーーーーーーーーーーーー」と、車のクラクションが聞こえた。5、6台が連なって、クラクションを鳴らしっぱなしで徐行している。そしてその横を通ると、

「ジャポーーン、ガンバレーー」と応援してくれて、車内からメガホン代わりにしていたカラーコーンを道に投げ捨て走り去った。若い男女の集団だった。

どこの国でも青年時代は一緒だと思い、地元でみた暴走族を思い出した。元気がでたので、昇りでも走り続けれた。

もうすぐ、サポートエイド!

122Km〜 20:30

午後8時30分、予定していた時間通りサポートエイドに到着。合流しようと連絡すると、バスに乗り遅れて、到着が21:00になるとのこと。焦り出した。待たずに行くべきか、待つべきか考えて、寝て待つ事にした。エイドから少し離れたところで寝ていると、チャンとタモと合流。

食事を済ませ、もう一度寝てみるが寝れない、そして寒い。やる気も落ちて来てグチが増え出す。留まっても何も変わらないので出発する。

唯一の希望は残り50Kmを切ってるという事と、次のサポートエイドまで17Kmぐらいだという事。でも50kmかあ〜、長いぞ。

(少し走って歩いて歩いてちょっと走ってまた歩く)これの繰り返し。じっと何かに耐えながら次のエイドを目指す。5時間ぐらいかけて次に到着。寝る!!

「30分たったら起こして」とサポートに伝え就寝。時間がきて「あと15分寝てみる」と二度寝。「寝ても変わらんぞ」とサポートから言われて、しぶしぶ

起きる。(のちにこの激に救われた形になった。)

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このセクションは傾斜もきつく岩をどんどん登って行かなければならない、オマケに草木も今までよりは

断然多く、前方に誰もいなければマーカーを見失いやすい。そんな時に限って前方走者ナシ。

途中山頂の方から聞こえてくるカウベルの音に「ひょっとして施設エイド!」と思って期待して進むと、牛でした。

途中道で仮眠を取ろうと、少し広い所で休んでいたら他の選手も来て一緒に休む。

少し眠りかけた時、その選手が嘔吐しだして、飛び起きた。「大丈夫かー」と尋ねると、「大丈夫だよ

ゴメンね」と言われた。そして二人でのんびり歩いて、頂上近くのエイドで別れた。

また下りをダラダラ進んでいると、とある選手と会話して進むことに。そして、「君は何時にゴールを目標にしてるの?」と聞かれ、「○○ぐらい」と答えると、急に立ち止まって道を譲り、「急げ、間に合わなくなるぞ」と言われて、自分のペースが落ちすぎてることを教えてもらう。

最後のエイドについた時、残り数十キロで終わると思ったら力が出た。サポートに終わらせてくると伝え、夜が明け出したころに出発。

最後に登った山はとても厳しく、段差の高い岩の道を黙々とみんな登る。でもこれで終わると思うと

力が入る。山頂付近で、なんと鹿発見!なんて名前なんだろうと思い、見つめていたら、「あれはシャモニアだよ」と中枢から一緒に登っていた人が教えてくれた。ツノの形がホルンのようで、とても

かっこよかった。見れてラッキー。

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山頂まで到着して、数キロ尾根を進むと、いよいよシャモニーの街までの長い下り。ここまでくれば、

後の事なんて考える必要なんてなく、一気に下る。長い下りの終わりに、どっかホテルの裏側みたいな

場所に出てきて、見覚えのある場所が見えてきた。こっからの道はすれ違う人みんなが歓迎してくれて

、まるでスター選手になったかと思えるぐらいの声援を街の人達がしてくれる。

後悔しないようにゆっくり走り、できる限りの声援に応えた。そしてゴール。

ゲートには、仲間の姿と、すごい存在感のおじいちゃんがいた。ついつい一緒に写真を撮る。

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ゴールして疲れていても、歓喜に体が動かされ、沢山のランナーと話をし、お互いを称え、そしてサポーターに感謝した。ずーっとこの場所に居たいと思ったが、この汗臭い体を洗おうと、一旦帰ろうと電車に乗る。しかし電車は反対方向に進んで行き、見知らぬ土地で下された。そしてこの場所で一時間待ち、さすがにぐたっりしてきた。

ようやく宿泊場所に戻り、少し寝て起きたら街に行こうと思っていたが、やっぱり寝過ごして、街に着いた時は、明らかに閉会式も終わり片付けが始まっていた。

いい時間帯が終わった感じが伝わり、三人で街をトボトボ徘徊していたら、最終電車に乗り遅れ、

また歩いて宿舎に戻るハメになった。この3~4Kmの道のりの辛さが一番きつかったような・・・

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「明日早起きして部屋を片付けて帰ろう」と言って、就寝。しかしモーニングコールは迎えのバスの

運転手の電話だった!!!!!!!!!!!!

「もう帰れないかもしれない」と絶望を感じながら荷物をまとめる。「はやくしてくれ」と言われ、ごもっともなんですが、もう少しだけ待ってくれと伝えながら支度。

一緒のバスのお客さんに、ひたすら謝る。なんとか乗せてもらうが、乗客の視線が痛い。当然だ。

空港に着くと、また全員に謝罪して、最後に運転手さんに謝ると、「大丈夫だよ、いい旅を」と笑顔で

いってくれた。大きな人だ!私なら顔に出し、言葉にだすだろうに。猛省します。

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そこから15時間飛行機に乗り、日本に到着。無事帰れて安堵もしたが、あのおとぎの国のような場所

を大好きな友達と旅をできたのは最高だ。

幾日が過ぎてもひたすら思い出した。いい旅だった。

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